CRDS方式水分計の歴史【第1章】

水分計

CRDS方式はどのように生まれたのか ― 超微量ガス分析を変えた光学技術の誕生

現在、半導体工場や高純度ガス製造設備では、「CRDS方式水分計」は超微量水分測定の代表的な分析技術の一つとなっています。数ppb(10億分の1)どころか、さらに低い濃度まで測定できる高感度分析計として、多くの製造現場や研究機関で利用されています。

しかし、この技術は最初から水分計として開発されたわけではありません。

CRDS(Cavity Ring-Down Spectroscopy:キャビティリングダウン分光法)は、1980年代後半に大学や国立研究機関で生まれた基礎研究から始まりました。その後、分光学、レーザー技術、光学共振器技術の進歩によって実用化への道が開かれ、現在の超微量ガス分析計へと発展していきます。

本シリーズ第1章では、CRDSという測定方式が誕生するまでの歴史をたどります。製品やメーカーの話ではなく、「なぜCRDSという技術が必要になったのか」「誰がどのように生み出したのか」を中心に紹介します。


超微量水分測定が抱えていた課題

1980年代、半導体産業は急速な進歩を続けていました。

LSIやDRAMの高集積化が進み、製造工程では極めて純度の高いガスが大量に使用されるようになります。

代表的なものは、

  • 窒素(N₂)
  • アルゴン(Ar)
  • 水素(H₂)
  • ヘリウム(He)
  • 酸素(O₂)
  • 特殊材料ガス(シラン、アンモニアなど)

です。

これらのガスには、ごく微量の水分でも工程に影響を与えることが分かってきました。

例えば、

  • 酸化膜形成の品質低下
  • エッチング特性の変化
  • 配管内部の腐食
  • 製品歩留まりの低下

などです。

当時の半導体メーカーでは、水分濃度を数ppb以下で管理したいという要求が急速に高まりました。

しかし、それを安定して測定できる分析計はほとんど存在していませんでした。

当時主流だった水分計

1980年代に利用されていた代表的な水分計には、それぞれ特徴がありました。

電解式(五酸化リン:P₂O₅)

高感度な方式として広く利用されていましたが、水分を電気分解して測定するためセンサーが消耗します。定期交換や校正が必要で、長期間連続測定には課題がありました。

アルミナ酸化膜式露点計

現在でも広く使われている露点計です。耐久性や扱いやすさに優れていますが、超微量領域では感度や応答速度に限界があります。

静電容量式・抵抗式湿度センサー

一般産業用途では十分でしたが、半導体産業が要求する超微量水分には対応できませんでした。

つまり当時必要とされていたのは、

センサーが消耗せず、極めて微量の水分を長期間安定して測定できる方法」

でした。

ここからレーザーを利用した新しい吸収分光法の研究が始まります。


分光法の世界でも「もっと高感度」が求められていた

水分測定だけではありません。

1980年代には環境計測や基礎化学でも、「極めて弱い吸収」を測定したいという要求が高まっていました。

通常の吸収分光法は Beer-Lambert の法則に基づいています。

光を試料に通し、

「入射した光」と「透過した光」の強さの違いから吸収量を求めます。

この方法は非常に優れていますが、吸収が極めて小さい場合には問題があります。

  • レーザー出力の揺らぎ
  • 検出器ノイズ
  • 光源の長期ドリフト

などが測定精度を制限してしまいます。

吸収率が100万分の1以下になると、光の強さだけを測定する方法では限界が見え始めました。

そこで研究者たちは、「光の強さを測る」のではなく、「光が消える時間を測る」という新しいアイデアへたどり着きます。


1988年、CRDSという新しい分光法が誕生する

1988年、Anthony O’Keefe と David A. G. Deacon は『Review of Scientific Instruments』誌に歴史的な論文を発表しました。

論文タイトルは

“Cavity Ring-Down Optical Spectrometer for Absorption Measurements Using Pulsed Laser Sources”

です。

この論文が、現在CRDSの出発点として広く引用されています。

リングダウンとは何か

「Ring-down(リングダウン)」とは、共振器の中に閉じ込められた光が指数関数的に減衰していく現象を指します。

CRDSでは、高反射率ミラーを向かい合わせに配置した光共振器(Optical Cavity)へレーザーパルスを入射します。

レーザーを止めても光はすぐには消えません。

ミラーの間を何千回も往復しながら、少しずつ外へ漏れ出していきます。

その減衰時間(Ring-down Time)を測定することで、キャビティ内の吸収量を計算できます。

「強さ」ではなく「時間」を測るという発想

ここがCRDS最大の特徴です。

従来の吸収分光では光の強さを比較します。

一方CRDSでは、

  • 光がどれだけ長くキャビティ内に存在したか
  • 光がどれだけ早く減衰したか

を測定します。

吸収する分子が存在すると光はより早く減衰します。

つまり、

減衰時間そのものが吸収量になる

という発想です。

レーザー出力が多少変動しても、時間測定なので影響を受けにくいという画期的な特徴がありました。


CRDSが驚異的な感度を実現した理由

CRDSが研究者に衝撃を与えた理由は、「実効光路長」を飛躍的に長くできたことです。

光は数千回も往復する

CRDSで使用されるミラーは非常に高性能です。

反射率は99.99%を超えます。

例えば反射率99.995%なら、光は数万回反射することができます。

キャビティ自体は数十センチ程度ですが、光は内部を何千回も往復します。

結果として分子と相互作用する距離は数kmから数十kmにも達します。

これは物理的に数十kmのセルを作ることなく実現できます。

従来の多重反射セルとの違い

もちろん、それ以前にも感度を高める方法はありました。

WhiteセルやHerriottセルなど、多重反射セルが利用されていました。

しかしCRDSでは、

  • 光の往復回数が圧倒的に多い。
  • 光路長がさらに長い。
  • 光源強度の揺らぎに強い。

という利点がありました。

このため、極めて弱い吸収も測定できる分光法として注目されます。


初期CRDSは巨大な研究装置だった

画期的だったCRDSですが、1988年の装置は研究室専用でした。

パルスレーザー方式

初期CRDSはパルスレーザーを利用していました。

そのため装置は非常に大掛かりでした。

課題も多くありました。

  • レーザー装置が大型。
  • 光軸調整が難しい。
  • 振動や温度変化の影響を受ける。
  • 長期間連続運転には向かない。

つまり研究室では使えても、工場で24時間365日動かす分析計には適していませんでした。

高感度なのに製品にならなかった理由

実用化には、

  • 小型化
  • 安定化
  • 自動調整
  • 長期信頼性

が必要でした。

CRDSにはまだ越えなければならない壁が残っていました。


CRDS研究は世界中へ広がっていく

1988年の論文以降、CRDSは急速に研究が進みます。

1990年代前半には世界中の研究機関で応用研究が始まりました。

測定対象も水分だけではありません。

研究対象は、

  • 酸素(O₂)
  • 二酸化炭素(CO₂)
  • メタン(CH₄)
  • 一酸化炭素(CO)
  • アンモニア(NH₃)
  • 窒素酸化物(NO₂)

など、多くの微量ガスへ広がっていきます。

1990年代にはレビュー論文も多数発表され、CRDSは「超高感度吸収分光法」の代表的な技術として認識されるようになります。


Kevin K. Lehmann教授が実用化への扉を開く

CRDSの歴史で欠かせない人物が Kevin K. Lehmann 教授です。

Lehmann教授は分子分光学を専門とする化学者で、1985年にプリンストン大学へ着任しました。

パルス方式から連続波方式へ

教授が取り組んだのが Continuous-Wave CRDS(CW-CRDS)です。

パルスレーザーではなく、小型の半導体レーザー(連続波レーザー)を利用する方式でした。

この研究によって、

  • 小型レーザーが使える。
  • 長時間安定測定が可能になる。
  • 自動制御しやすい。
  • 装置を大幅に小型化できる。

という実用化への道が開かれます。

実用化の基盤となった特許群

1990年代半ば、Lehmann教授はCW-CRDSに関する複数の基本特許を取得しました。

これらの特許は後に分析機器メーカーへライセンスされ、商用CRDS分析計誕生の基盤となります。

この出来事はCRDS史における大きな転換点でした。

「研究技術」が「産業技術」へ変わり始めた瞬間です。


1990年代後半、CRDSは実用技術へ向かう

CW-CRDSの登場によってCRDSは新しい段階へ入ります。

大学では基礎研究が続き、企業では実用化への検討が始まります。

半導体産業では超高純度ガス中の水分測定という新しい市場が生まれ、CRDSはその要求に応えられる数少ない技術として期待されるようになりました。

そして1990年代後半、一人の分析機器メーカー経営者がLehmann教授の研究に注目します。

その人物が、後にTiger Optics社を創業する Lisa Bergson 氏でした。

ここからCRDSは論文の中の技術ではなく、世界初の商用CRDS水分計へと発展していきます。

その物語は次章で詳しく紹介します。


まとめ

CRDS方式水分計の歴史は、水分計の歴史ではなく、一つの分光法の誕生から始まります。

1980年代、半導体産業や環境分析では従来方式では測定できない超微量ガス分析が求められていました。その課題に対して1988年、Anthony O’Keefe と David A. G. Deacon が「光の減衰時間を測る」という新しい分光法を発表します。

CRDSは極めて高い感度を実現しましたが、当初は研究室専用の大型装置でした。

1990年代半ばになると、Kevin K. Lehmann 教授が連続波レーザーを用いるCW-CRDSを開発し、小型・高安定な実用技術への道を切り開きます。

このCW-CRDSこそが、後に世界初の商用CRDS方式水分計を誕生させる基盤となりました。

第2章では、Kevin K. Lehmann 教授と Lisa Bergson 氏、そして Tiger Optics 社がどのように世界初のCRDS方式水分計を誕生させたのか、その歴史をたどります。


参考文献

  1. Anthony O’Keefe, David A. G. Deacon. Cavity Ring-Down Optical Spectrometer for Absorption Measurements Using Pulsed Laser Sources. Review of Scientific Instruments, Vol.59, 1988.
  2. Piotr Zalicki, Richard N. Zare. Cavity Ring-Down Spectroscopy for Quantitative Absorption Measurements. Journal of Chemical Physics, 1995.
  3. Giel Berden, Richard Engeln, Gerrit Meijer. Cavity Ring-Down Spectroscopy: Experimental Schemes and Applications. International Reviews in Physical Chemistry.
  4. G. P. Miller. The Development of Cavity Ringdown Spectroscopy as a Trace Gas Analytical Technique. U.S. Department of Energy, 2001.
  5. Kevin K. Lehmann. University of Virginia, Department of Chemistry(研究紹介・業績一覧)。
CRDS方式水分計の歴史【第2章】
CRCRDS方式水分計はどのように製品化されたのでしょうか。Kevin K. Lehmann教授のCW-CRDS研究とTiger Optics社の関係、MTOなど初期のCRDS方式水分計の誕生までを解説します。。