CRDS方式水分計の歴史【第3章】

水分計

日本で進んだCRDS方式水分計の開発

― 産総研の研究から国産小型CRDS水分計の誕生まで

CRDS方式水分計の歴史をたどると、その発展の中心はアメリカだけではなかったことが分かります。

第1章では、1988年に誕生したキャビティリングダウン分光法(CRDS)が、どのようにして微量ガス分析へ発展していったのかを見てきました。

第2章では、Kevin K. Lehmann教授の研究を基礎として、Tiger Optics社がCW-CRDSを実用化し、微量水分計として製品化していった過程を紹介しました。

しかし、日本でも1990年代以降、微量水分をより正確に測定するための研究が進められていました。

その中心となったのが、産業技術総合研究所(産総研)の計量標準総合センター(NMIJ)です。

産総研では、微量水分の国家計量標準を実現する研究と並行して、CRDSを利用した微量水分測定技術の研究が進められました。

そして、阿部恒氏、橋口幸治氏らによる研究は、CRDSの高感度化だけでなく、小型化へと発展していきます。

その技術は神栄テクノロジー株式会社との共同開発へとつながり、最終的には国産の小型CRDS方式水分計として製品化されることになります。

さらに興味深いことに、CRDSは単なる水分計として利用されただけではありません。

各国の国家計量機関が、それぞれ異なる方法で実現した微量水分標準を比較する際に、CRDS分析計が共通の比較測定器として使用されるようになりました。

今回は、日本におけるCRDSの研究開発から、国際比較、そして製品化までを追っていきます。


日本でも「微量水分を正確に測る」必要が生まれた

半導体産業や高純度ガス産業が発展すると、ガス中に含まれるごく微量な水分を測定する必要性が高まっていきました。

水分濃度はppm(百万分の一)からppb(十億分の一)へ、さらにnmol/molやppt(兆分の一)という領域まで測定対象が広がっていきます。

ところが、ここで重要な問題が生まれます。

「その水分計は、本当に正しい値を示しているのか?」

という問題です。

例えば、ある水分計が100 nmol/molと表示したとしても、それが本当に100 nmol/molなのか、95 nmol/molなのか105 nmol/molなのかを判断するには、基準となる標準が必要になります。

そこで各国の国家計量機関では、微量水分を一定の濃度で発生させ、その濃度を高い信頼性で決定するための研究が進められていました。

日本では、この役割を産業技術総合研究所の計量標準総合センター(NMIJ)が担っています。


産総研が取り組んだ微量水分標準

産総研では、微量水分を正確に発生させ、その濃度を物理量から決定するための研究が行われてきました。

微量水分標準では、単に「基準となる水分計」を一台用意するのではありません。

水分を発生させる量やガス流量など、測定可能な物理量から水分濃度を決定することが重要になります。

つまり、

「この水分計が100 nmol/molと表示したから100 nmol/molである」

という考え方ではなく、

「物理的に100 nmol/molになる条件を実現し、その値を標準として利用する」

という考え方です。

こうした一次標準の研究は、微量水分を測定する装置そのものの評価にも重要な意味を持ちます。

なぜなら、CRDSなどの新しい水分計を評価するためには、比較する相手となる信頼性の高い標準が必要だからです。


CRDSを国家計量標準と比較する

CRDS方式の水分計が登場すると、新たな課題が生まれました。

それは、

「CRDSが示す数値は、本当に正しいのか?」

という問題です。

CRDSは非常に高感度な測定が可能ですが、高感度であることと、測定値が正確であることは同じではありません。

そのため、産総研ではCRDS水分計と、産総研が実現した微量水分標準との比較が行われました。

ここで重要なのは、CRDSを単なる高感度センサーとして評価するのではなく、

「国家計量標準とどの程度一致するのか」

という視点から評価していることです。

このような研究によって、CRDSは微量水分を高感度に測定できるだけでなく、国家計量標準との比較が可能な測定技術として評価されていきました。


阿部氏・橋口氏らによるCRDS研究

日本におけるCRDS研究を語る上で重要な人物が、産総研の阿部恒氏と橋口幸治氏です。

両氏らは、CRDSを微量水分測定に利用する研究を進め、その性能をさらに高めていきました。

ここで注目したいのは、産総研が単に海外メーカーのCRDS水分計を評価していたわけではないということです。

CRDSそのものを研究対象として、

・レーザー周波数の制御

・スペクトル分解能の向上

・温度制御

・キャビティの改良

・小型化

など、測定性能を向上させるための技術開発を行っていました。

この研究が、後の国産小型CRDS水分計につながっていきます。


2016年――サブppb領域への挑戦

2016年、橋口氏、阿部氏らは、

「Wavelength-meter controlled cavity ring-down spectroscopy: high-sensitivity detection of trace moisture in N₂ at sub-ppb levels」

という研究を発表しました。

この研究では、波長計を利用してレーザーの波長を高精度に制御する方法をCRDSに導入し、窒素中の微量水分を測定しています。

CRDSでは、レーザーの周波数を水分分子の吸収線に正確に合わせることが重要です。

水分子には特定の波長で光を吸収する性質があります。

その吸収を正確に捉えることができれば、極めて微量な水分でも測定することができます。

この研究は、産総研がCRDSを利用してサブppb領域の微量水分測定を実現しようとしていたことを示す重要な研究です。


2019年――さらにppt領域へ

2019年には、さらに高感度化を進めた研究が発表されました。

タイトルは、

「Parts-per-trillion sensitivity for trace-moisture detection using wavelength-meter-controlled cavity ring-down spectroscopy」

です。

この研究では、レーザー周波数の制御に加えて温度制御などを組み合わせ、CRDSによる微量水分測定のさらなる高感度化が進められています。

ここで重要なのは、CRDSの高感度化が単純にレーザーを強くしたり、検出器を高性能化したりするだけではないということです。

レーザーの周波数安定性、キャビティの温度、スペクトル線形状など、測定系全体を精密に制御する必要があります。

CRDSは、

「光をキャビティの中に長く閉じ込める」

という基本原理から始まりました。

しかし実際の微量水分測定では、その性能を十分に引き出すために、レーザー、光学系、温度、キャビティ、信号処理などを総合的に制御する技術へと発展していったのです。


高感度化の次に待っていた「小型化」

研究室で高性能な測定を行うのであれば、装置が大型でも問題ありません。

しかし、実際の工場で使用するとなると事情が変わります。

半導体製造装置や高純度ガス供給設備などで水分を測定する場合、

「もっと小型の装置にできないか」

という要求が出てきます。

CRDSは高感度な測定ができる一方で、従来の装置では光学系やキャビティなどが必要になるため、装置が大型になりやすいという問題がありました。

そこで産総研では、CRDSを小型化する研究が進められました。

これは単なる装置の小型化ではありません。

小型化すれば、光学的な測定条件も変化します。

特にCRDSでは、キャビティの長さやミラーの性能が測定感度に大きく関係します。

したがって、

「小さくすること」

「高感度を維持すること」

を同時に実現しなければなりません。


2019年――産総研と神栄テクノロジーの共同開発

2019年、第80回応用物理学会秋季学術講演会で、

「小型CRDS微量水分計の開発」

という発表が行われました。

著者には、

産業技術総合研究所の

阿部 恒氏
橋口 幸治氏

と、

神栄テクノロジー株式会社の

本田 真一氏
清水 裕行氏
三宅 伴季氏

が名を連ねています。

ここは、日本のCRDS水分計の歴史を考える上で非常に重要なポイントです。

それまで産総研で研究されてきたCRDS技術が、企業との共同開発によって、

「実際に使用できる小型水分計」

へと向かい始めたことが確認できるからです。

研究機関には、微量水分の計量標準やCRDSに関する研究技術があります。

一方、企業には、製品として成立させるための装置設計や製造技術があります。

この両者が組み合わさることで、研究室の技術が実際の製品へと近づいていきました。


小型CRDSセンサーの誕生

この研究は2021年、学術論文として本格的に発表されます。

論文のタイトルは、

「A miniaturized trace-moisture sensor based on cavity ring-down spectroscopy」

です。

この研究では、CRDSのキャビティを大幅に小型化しています。

キャビティのミラー間隔は5 cm。

センサー全体のサイズは、

24 cm × 9 cm × 13 cm

重量は、

2.7 kg

でした。

従来の研究室用CRDS装置と比較すると、非常に小型の装置です。

しかし重要なのは、小型化したことだけではありません。

小型化しても、微量水分測定に必要な感度と精度を確保することが研究の大きな目的でした。


小型化しても3 ppbの検出限界

2021年の研究では、窒素中の水分について、

3.1 nmol/mol

つまり、

約3.1 ppb

という検出限界が報告されています。

また、12 nmol/molから1.3 μmol/molの範囲について相対標準不確かさも評価されています。

これは、小型化されたCRDSセンサーであっても、微量水分測定に十分な性能を持つことを示しています。

さらに重要なのが、SIにトレーサブルな一次微量水分標準との比較です。

つまり、

「小型CRDSが低い値まで測れる」

だけではなく、

「その測定値が一次標準とどの程度一致するのか」

まで評価されたわけです。

ここに産総研による研究の大きな特徴があります。

単なるセンサー開発ではなく、計量標準との関係まで含めて測定性能を評価しているのです。


2023年――さらに分解能を改善

小型化に成功した後も、研究は続きました。

2023年には、

「Improvement of spectral resolution in a miniaturized trace-moisture sensor using cavity ring-down spectroscopy」

という研究が発表されています。

これは、小型CRDSセンサーのスペクトル分解能をさらに改善する研究です。

CRDSでは、水分の吸収線を正確に測定することが重要です。

そのため、装置を小型化した後も、

「どれだけ細かく水分の吸収を測定できるか」

という課題が残ります。

そこでキャビティや温度などを制御し、スペクトル分解能を改善する研究が行われました。

この研究では、一次微量水分標準を利用した性能評価も行われています。

つまり産総研の研究は、

CRDSを作る

高感度化する

小型化する

分解能を改善する

一次標準と比較する

という形で発展していったのです。


CRDSは「標準を比較する物差し」にもなった

ここで、CRDSのもう一つの重要な役割を見てみましょう。

各国の国家計量機関は、それぞれ異なる方法で微量水分標準を実現しています。

日本には日本の標準発生装置があります。

アメリカにはアメリカの標準があります。

イギリスやドイツにも、それぞれ独自の方法があります。

では、それらをどうやって比較するのでしょうか。

そこで使われるのが、

「トラベリング・スタンダード」

という方法です。

一台の測定器を各国へ持ち運び、それぞれの国家計量機関で測定します。

こうすることで、異なる方法で実現された標準を、同じ測定器を介して比較することができます。


LaserTrace 6000が各国を巡る

産総研の研究資料では、国家計量機関による微量水分標準の国際比較について紹介されています。

この国際比較では、

NMIJ(日本)

NIST(アメリカ)

NPL(イギリス)

PTB(ドイツ)

などの国家計量機関が参加しています。

そして、トラベリング・スタンダードとして使用されたのが、

Tiger OpticsのLaserTrace 6000

でした。

ここが非常に興味深いところです。

日本の標準発生装置で実現した微量水分をLaserTrace 6000で測定する。

その後、同じ測定器を別の国へ持っていき、その国の標準発生装置で実現した微量水分を測定する。

これを各国で繰り返すことで、

「日本の標準」

「アメリカの標準」

「イギリスの標準」

「ドイツの標準」

を共通の測定器を介して比較することができます。


CRDSそのものが「世界の標準」になったわけではない

ここは非常に重要な点です。

「CRDSが世界標準になった」

という表現だけを見ると、

CRDSそのものが世界の一次標準になった

と誤解する可能性があります。

実際にはそうではありません。

各国の国家計量機関は、それぞれ独自の方法で一次微量水分標準を実現しています。

CRDSは、その標準そのものではありません。

CRDSが担ったのは、

「異なる標準を比較するための共通の測定器」

という役割です。

つまり、

各国がそれぞれ異なる方法で微量水分を発生させる

共通のCRDS水分計で測定する

それぞれの標準値とCRDSの測定値を比較する

各国の標準の一致度や不確かさを評価する

という方法です。

これは、CRDSが微量水分測定において非常に高い信頼性を持つ測定技術として認識されていたことを示しています。

言い換えれば、

「世界の標準そのもの」

ではなく、

「世界の標準を比較するための共通の物差し」

になったということです。


研究成果は製品へ

産総研と神栄テクノロジーによる小型CRDSの研究は、最終的に実際の製品へとつながります。

神栄テクノロジーは、産総研との共同研究成果を活用した小型CRDS方式の微量水分計を製品化しています。

その一つが、

「DewTracer mini CRDS-H₂O」

です。

現在の製品仕様では、12 ppbv~20 ppmvという広い水分濃度範囲を測定対象としており、非常に低い水分濃度を対象とした測定器となっています。

研究室で生まれたCRDS技術が、

「小型化」

「高感度化」

「標準との比較」

を経て、実際の産業用測定器へと発展したわけです。


CRDSは研究室から製造現場へ

ここまでCRDS方式水分計の歴史を見てくると、一つの技術がどのように発展してきたのかが分かります。

最初のCRDSは、

「非常に微弱な光吸収を測定するための分光技術」

でした。

それが、

「超微量水分を測定する分析装置」

へと発展します。

さらに、

「国家計量標準と比較できる測定器」

となり、

「各国の標準を比較するための共通の測定器」

としても使用されるようになりました。

そして日本では、産総研によってさらに研究が進められ、

「小型で実用的なCRDS水分センサー」

へと発展していきました。

これは、基礎研究から産業応用までが一本につながった非常に興味深い例です。


CRDS方式水分計の歴史を振り返る

ここまで3章にわたってCRDS方式水分計の歴史を見てきました。

第1章では、1988年にCRDSが誕生し、その後CW-CRDSへと発展していった歴史を紹介しました。

第2章では、Kevin K. Lehmann教授の研究を基礎としてTiger Optics社がCW-CRDSを商業化し、微量水分測定へ応用していった過程を見ました。

そして第3章では、日本におけるCRDSの発展を見てきました。

産総研では、微量水分の国家計量標準を実現する研究が進められました。

その標準を利用してCRDS水分計の性能が評価されました。

さらに阿部恒氏、橋口幸治氏らによって、CRDSそのものの高感度化、高精度化、小型化が進められました。

2016年にはサブppb領域への高感度化。

2019年にはppt領域への挑戦。

そして同じ2019年には、神栄テクノロジーとの共同による小型CRDS微量水分計の開発。

2021年には小型CRDSセンサーの本格的な論文化。

2023年にはスペクトル分解能の改善と一次微量水分標準による性能評価。

そして、その技術は実際の小型CRDS水分計として製品化されました。


おわりに

CRDS方式水分計の歴史を調べていくと、単純な「新しい水分計の開発史」ではないことが分かります。

一つの分光技術が、

基礎研究

CW-CRDSへの発展

Tiger Opticsによる商業化

超微量水分測定への応用

国家計量標準との比較

国際的な標準比較

産総研による独自研究

高感度化・高精度化

小型化

企業との共同開発

国産製品

という長い道のりをたどってきたのです。

特に興味深いのは、CRDSが単に「高感度な水分計」になっただけではないことです。

各国の国家計量機関が、それぞれ異なる方法で実現した微量水分標準を比較する際に、同じCRDS分析計を持ち回って測定する。

つまりCRDSは、

「異なる標準を比較するための共通の物差し」

としても使われるようになりました。

そして日本では、そのCRDS技術をさらに小型化し、一次標準との比較によって性能を確認しながら、実際の製品へと発展させています。

1988年に研究室で誕生したCRDSは、単なる一つの分光分析法ではありませんでした。

それは、

「見えないほど少ない水分を、どうやって正確に測るのか」

という課題に対する、一つの答えだったのです。

そして現在も、より高感度に、より小型に、より高速に、より正確に測定するための研究が続いています。

CRDS方式水分計の歴史は、まだ終わっていません。


参考文献・資料

・O’Keefe, A., Deacon, D. A. G., “Cavity ring-down optical spectrometer for absorption measurements using pulsed laser sources,” Review of Scientific Instruments, 59, 2544–2551 (1988).

・Hashiguchi, K., Lisak, D., Cygan, A., Ciuryło, R., Abe, H., “Wavelength-meter controlled cavity ring-down spectroscopy: high-sensitivity detection of trace moisture in N₂ at sub-ppb levels,” Sensors and Actuators A: Physical (2016).

・Hashiguchi, K., Lisak, D., Cygan, A., Ciuryło, R., Abe, H., “Parts-per-trillion sensitivity for trace-moisture detection using wavelength-meter-controlled cavity ring-down spectroscopy,” AIP Advances, 9, 125331 (2019).

・阿部 恒、橋口 幸治、本田 真一、清水 裕行、三宅 伴季、「小型CRDS微量水分計の開発」、第80回応用物理学会秋季学術講演会 (2019)。

・Abe, H., Hashiguchi, K., Lisak, D., Honda, S., Miyake, T., Shimizu, H., “A miniaturized trace-moisture sensor based on cavity ring-down spectroscopy,” Sensors and Actuators A: Physical, 320, 112559 (2021).

・Abe, H., Amano, M., Hashiguchi, K., Lisak, D., Honda, S., Miyake, T., “Improvement of spectral resolution in a miniaturized trace-moisture sensor using cavity ring-down spectroscopy: Performance evaluation using a trace-moisture standard in He,” Sensors and Actuators A: Physical, 351, 114146 (2023).

・Abe, H., “Trace-moisture measurement using cavity ring-down spectroscopy at NMIJ,” Journal of Physics: Conference Series, 2439, 012001 (2023).

・産業技術総合研究所(NMIJ)、「小型CRDS微量水分計の開発」。

・神栄テクノロジー株式会社、「CRDS微量水分計」。